インテリアデザインとしてのテキスタイル

「花火」

2018.8

染色


 バイト先の店内装飾としてテキスタイルを制作して販売した。



 この作品自体には全くそんなつもりはなかったのだけれど、出来上がったビジュアルは何かシリアスな光にも思えて、それはおそらく核の光を想起させるからだと思う。

 原発、キノコ雲、降り注ぐ放射能、メルトダウン、白く染まっていく、赤くにじむ。そういう要素がこれにはある。

 しかし、核とか原発とか災害とかについて表現するときに、我々は慎重にならないといけないと思う。それは一般的なポリティカルコレクトの話ではなく、むしろポリコレをどうしても意識せざるを得ないがために、作品が想起させるものが倫理的な神妙性に収束されていき、新しい地平を拓く現状を打開していく力を失ってしまうことは、よくあることだと思う。

 森美術館のカタストロフ展を見る中で、僕はそういうことを強く考えた。

 カタストロフ展ではおそらくキュレーターやアーティストもそのことをとてもよく考えていたのだと思うのだけど、わざわざ展示に向けた会議記録などを展示会場で紙面にして公開していた。その中に印象的なフレーズとして、「作品の持つ『美』は、コンセプトから切り離して存在しうる」(言い回しはおぼろげですが)とあったのを覚えている。


 アーティストの一つの使命として、社会の大きな問題に対して個人の力で向き合っていき、何かしらのアイデアや力をアウトプットしていくことがあると思うし、日本という災害の多発する国に生まれ育ったものとしてそれらの存在は自分の中にも大きく存在しているから、いずれは扱うべきテーマだと思いつつも、自分の作品の中で原発や災害を扱うということについて、僕はまだ具体的なアイデアはない。




"firework"

2018.Aug

staining


    Although I did not intend to do such thing at all, I think the visual of this work is associated with nuclear light. This work has elements of nuclear power plants, mushroom clouds, falling radio activity, meltdown, turning white, blurred in red, despite I did not expected at all.

    Nevertheless, I have to be carefully if I treat these theme for my art work. This is not general political correction story, but rather because of consciousness of political correction, the work is almost usually converged to ethical seriousness tameness( I'm not sure it is correct word sorry). Such art works do not have the ability to break through the current problem situation.

    When I was watching the catastrophe exhibition at Mori contemporary art museum in Tokyo, I firmly thought about that.

    I do not have ani concrete idea about treating nuclear power and disasters in my work yet, but I will continue thinking and make a result.








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